15)最後の仇討

最後に仇討された人の墓石

最後に仇討された人の墓石
明治4年(1871)少し手前の黒岩って石の在るところで、仇討が行われました。明治6年には「仇討禁止令」が発布されますので、日本史上最後の仇討とされています。ただ、高野参詣道として考えると、物騒な話ですね。

1里石たち

1里石たち
4本あるうちの奥から2番目が「一里石」です。
1里石を挟んで二つには、「右京大坂道」との表記があります。いちばん右も同じ感じです。
あくまでも僕の推測ですが、これは工事か何かで、1か所にマトメられちゃったんじゃないかなと思います。僕の計算では最低1キロは橋本寄りにないといけません。破壊されたりしてるよりマシですが、ちょっと寂しいですね。

一里石の横に見える坂を上ると、こんなお堂があります。
お堂
御供え物や、願を書いたヨダレかけをみると、子安さんかなという感じです。
手前に小学校低学年用の椅子が2脚並んで置かれていてとてもかわいい感じです。

高野口・慈尊院への分岐道

高野口・慈尊院への分岐道<
左側に診療所があったみたいで、ここはお医者さんの家みたいですが、今はだれも住んでなさそうです。
南海電車が、出来るまで高野山の玄関口は国鉄和歌山線の「高野口駅」でした「高野下駅」のある椎出ぐらいまで、人力車が引っ切り無しに走っていたみたいで、ここ神谷は、200人が一度に泊まれる大きな旅館も有り、「日が昇ると銭が湧く」と言われたほどらしいですが、想像できないくらい寂しい所です・・・。

高野山への道

■黒河道

■高野街道1

■高野街道2