この地方ではさして珍しくない風景です。

昔は、こういった農家の軒先には、串柿がよく干されていたんですが、串柿はお正月に使うだけなので、殆ど作られなくなりました。
玉屋宿跡(手前)

石堂丸物語で、は当時高野山が女人禁制だったため、お母さんは学文路の宿場町で待っているしかありませんでした。そのお母さんが逗留したと伝わるのが、玉屋と言われます。
奥の石垣と建物は趣があるんですが、実は手前でして、
今となっては面影も有りません。
ちなみに、高野さんには墓石がいっぱいありますが、
石は学文路で舟から上げて運んだらしいです。
・・・。考えるだけで大変です。
学文路苅萱堂

高野街道を歩く人は必ず立ち寄ったと言う苅萱堂です。電車が開通してから、倒壊しそうなぐらい荒れていたらしいですが、地元の保存会活動のおかげで、立派なお堂に修理されています。ここには石堂丸ゆかりの品が多く残っていて、中でも「人魚のミイラ」は、必見!全国の不思議系ミイラのなかでは一番愛嬌のあるもの(個人の感覚ですが・・・。)です。
学文路から和泉山脈を望む その1

学文路はとても景色がいいです。真中に見える高架は京奈和自動車道です。
向かい山の上の方に僕の家があるので、常にチェックしながら歩いてました。
だんだん遠くなります。そして厳しい坂が続きます。
