まちの紹介

はしもとの歴史

この地域の歴史は古く、縄文時代の遺跡や遺物も多く発見されています。また、その文化レベルも非常に高く、日本最古の金石文として有名な隅田八幡神社所有の国宝「人物画象鏡」、有力者の子供の骨壷と考えられる重要文化財「奈良三彩の壺」などからもうかがい知ることができます。

飛鳥時代から奈良時代にかけては、真土山が都のある大和から紀伊への門戸として交通の要衝となり、多くの万葉人がこの地を訪れ、数々の万葉歌を残しています。また、中世では高野山の興隆により、京から高野山に至る高野街道の宿場町として栄え、紀伊見峠や清水などにいまも面影が残っています。

橋本という街の名前は、今からおよそ400年前の天正15年(1587)に高野山の木喰応其という僧が秀吉から領地をもらい、この地に町を開いたことから始まります。応其上人は、紀の川に長さ約235mの橋を架け、「橋のたもと」と言うことで「はしもと」と呼ばれるように成りました。この橋は数年で流れてしまいますが、「塩の専売許可」「永代諸役免除」を受け、町は急速に発展して行きました。秀吉の死後、一時の勢いは衰えますが、江戸時代になってからも船継問屋場として、また大和街道・高野街道を往復する伝馬所として、地方物産の集散地となり、この地方の中心地となりました。

明治5年に廃藩置県で和歌山県に編入され、明治22年に町制、昭和30年に近隣6町村が合併し橋本市となりました。平成18年3月1日には高野口町と合併して新生「橋本市」として新たなスタートを切っています。

地理的立地

橋本市位置マップ橋本市は、和歌山県の東北端、自然豊かな紀伊半島のほぼ中央に位置します。北は大阪府、東は奈良県に接し、JRと南海の鉄道が連絡します。道路でも国道24号線と国道371号線が交わる橋本は、交通の要衝であるとともに、文字どおり「和歌山の東と北の玄関」としての役割を持っています。

また、当市は「紀伊山地の霊場と参詣道」の北端に位置し、西に丹生都姫神社の「かつらぎ町」、南に宗教都市「高野町」、慈尊院と真田幸村で有名な「九度山町」と接しており、高野・熊野の世界遺産登録にあわせ、多くの観光客が訪れています。


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