平安末期の悲話

石童丸物語が今に甦る




  • 石童丸物語は、中世以降萱堂聖によって全国に広められ、涙もろい日本人の心情をゆさぶりながら、永く伝えられてきています。

  •  堂内には、苅萱道心・石童丸・千里ノ前の座像、夜光の玉、人魚のミイラ等数々の橋本市有形民俗文化財が祀られており、石童丸物語に流れる親子の情愛の大切さを感じとっていただけると思います。

  •  特に、「人魚のミイラ」は、学文路苅萱堂に伝わる秘宝の中で最も謎に包まれたもので、今も私達に夢とロマンの精神世界を体感させてくれると共に、不老長寿・無病息災のご利益を授けてくれます。


学文路苅萱堂縁起

学文路苅萱堂の開基は、明らかではありません。
江戸中期の元文五年(1740)以後、仁徳寺と改称されましたが、それ以前は、如意珠山能満院と呼ばれてきたと伝えられています。
石童丸物語は、中世以後、高野 聖(ひじり)の一派である萱堂聖によって全国に広められましたが、江戸初期には、説経節、浄瑠璃から琵琶歌となって広く世に知られました。特に学文路は、当時女人禁制の高野山への参詣口でもあり、石童丸物語にとってもっとも相応しい舞台となりました。
この物語が庶民信仰化したあらわれとして、堂内には、苅萱道心、石童丸、千里ノ前、玉屋主人像が祀られ、参詣人には苅萱物語を素材とした各種のお札が配られました。
また絵解きに使われたと思われる石童丸の守刀、人魚、夜光の玉、銘竹などが数多く伝えられ、高野聖による巧みな石童丸物語普及の姿を彷彿させます。
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