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織田秀信終焉の地




織田秀信の墓所と住居(寺院)跡が橋本市向副の丘陵地にひっそりと佇んでいます。


織田秀信・・・
天正8年(1580年)織田信長の嫡孫として岐阜城に出生。
幼名三法師といい、清州会議の結果、羽柴秀吉の推挙で織田家を後継。安土城で成人の後、岐阜城主となり、秀吉の「秀」をもらって秀信と改名した。関ヶ原の戦いで落城し、秀信は自害を決意したが、福島正則らに諌められ剃髪得度、高野山にのぼる。かつて祖父・信長が高野聖を迫害したため、聖派に追われ、山麓の向副村に閉居した。村人の情で善福寺の一隅に住み、村の娘と結婚して一子をもうけ、幸せな日々を送ったが、慶長10年(1605年)5月8日病気のため秀信は26年の短い生涯を閉じた。
これにて織田信長直系は断絶となる。
[諸説あり]



住所:橋本市向副 国道371号線沿い 
駐車場 なし